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2012年8月20日現在、
東北ライブハウス大作戦宮古支部長に太田氏。
店長に下山氏。
ライブハウス完成。
8月13日”KLUB COUNTER ACTION MIYAKO OPENING SERIES”と題して
 BRAHMAN公演にてプレオープン
8月19日”KLUB COUNTER ACTION MIYAKO opening special"と題して
 Ken Yokoyama:Iced China Tour Kenyokoyama×MEANING公演にて

グランドオープンしました。


SLANG KO氏の「KLUB COUNTER ACTION の暖簾分けとして
ライブハウスの名前が「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO
なっております。



岩手県宮古市大通2丁目6ー11  駅から612m。徒歩7分です。



宿泊に関しての情報はこちら



宮古より一言
はじめまして
パンクロックカレーの太田昭彦です。
この度の東日本大震災におきまして、宮古市は多大な被害を受けました。
その後の復興に関して、SPCの皆さんやスラングKOさんらバンド関係のご支援のおかげで、通常になりつつあります。
これも皆さんの支援のおかげです。ありがとうございました。
今回さらに、宮古市・大船渡市にライブハウスを!と呼び掛けて頂きました。
私の長年の夢だったライブハウスが現実になりそうです。
思えば4月7日KOさんが沿岸に2回目の支援物資を届けに来た時の事です。
次は沿岸の何処かでライブイベントをやろう!という話になりました。(雷矢ヤスオ・KOさん・コウヘイらと飲みながらだったのですか…その時、震災後最大余震に遭遇、津波警報により避難そして約1日停電)
そんな状況のなか、だったら開催場所はなんとかしますので、宮古でお願いします!って感じになったんです。
(その時はまだ宮古の広場は自衛隊や消防、警察などの緊急車両であふれ、体育館は避難場所でやる場所が無い状況でした)
結果、場所は二転三転しましたが、盛岡クラブチェンジさん、SPCさん、宮古市魚菜市場さんらの協力の元、なんとかパワーストック開催にこぎつけました。
そして6月12日パワーストックの開催。
まだロックのライブなんて不謹慎じゃない?と言う人もいましたが、バンドの熱いメッセージがあり、若者逹は盛り上がり、涙する人も居て、音楽の力を実感しました!
打ち上げの時、SPC西片さんより今回のライブハウス大作戦の件を相談され、私の長年の夢でしたので、是非協力します!いや、協力させてください!となり今回に至りました。
後日、色々な方面の方からライブ良かったよ・ありがとう・またお願いします。
などの声をかけていただき確信しました。
西片さんが言う、沿岸にもライブハウスが有れば、色々なバンドが来て、若者逹に元気や勇気を与えてくれるんじゃない?
私もそー思います。
本当に地元の若者逹が待ってます!
早くライブハウスができる様、私も微力ながら協力し頑張ります。
今回賛同してくれた全国の皆さん、バンドの皆さん、そして発起人のSPC西片さん本当にありがとうございます。
最後に宮古市長の言葉を借りて
『宮古市は必ずや復興致します!』
パンクロックカレー 太田昭彦(東北ライブハウス大作戦宮古支部長)



札幌KLUB COUNTER ACTIONより一言
多くのことが解決の兆しも見せぬまま、また東北にも冬が訪れようとしてます。
「私たちは見捨てられたのではないか」。これはまだ3月20日頃におれが現地入りした時に一番聞いた声。
何処の避難所の人たちも寒さに震え、不安を隠しきれず、大切な人を亡くした悲しみに暮れていました。
2度目も同じ。そんな被災地に入るたび自分の中で無力感は増し、事の重大さが本当に身にしみたものです。
震災から8ヶ月が経とうとしてます。物資だけじゃなく「雇用を、生活を、何より生き甲斐を」。
考えれば考えるほど頭の痛くなるような問題ばかりです。世間では予想通りの風化が進む中、
水面下ではいまだ何も変わらず、様々な状況と闘いながら被災地支援活動が続いてます。
そんな支援活動の集大成の一つともいえるプロジェクト「東北ライブハウス大作戦」をSPCが立ち上げました。
自分の町にライブハウスを立ち上げるのだって生半可な覚悟や状況では出来ないのに、よりによってSPCは、
ついこのあいだ大震災によって壊滅状態にあった3つもの町にライブハウスを作るといます。
この尋常ではない発想と行動力。物理的な状況を考えるだけでも、
いかにこの発想を実現させるのが大変な作業であるかが伺い知ることができると思います。
特に音楽好きな人にとって、東北ライブハウス大作戦はとても希望の感じることの出来るプロジェクトだと思います。
被災地にそんな希望が広がり、何も無くなってしまった町を再生する力の支えになってくれることを、おれたちは願ってます。
だれも東日本大震災が無ければきっとこんな発想もしなかったろうし、実現など不可能だったことでしょう。
「何も無いなら作る、やれば出来る」これはおれたちがずっと叫び続けて来たことであり、
最も伝えていきたかったことの一つです。SPCをはじめ、各地代表者、賛同者たちは、
こうやって共に背負い、絶望から再生していくために新たな人生を選んだのです。
来年、のれん分けという形で宮古市に「KLUB COUNTER ACTION 宮古」が誕生します。
KLUB COUNTER ACTIONはおれが25歳の時に札幌で立ち上げ、仲間とともに16年間死ぬ気で守り続けてきた場所です。
おれは店をチェーン展開したつもりは無いです。宮古には、大切なものを抱えながらどんな絶望も必ず跳ね返し、
いつか必ず何倍もの力となり、この苦しみから再生してくれることを願い信じて、
おれたちが死ぬ気で作り上げて来たものを託したつもりです。それがおれたちの信じる力の意味です。
今後とも皆樣にはKLUB COUNTER ACTION 札幌/宮古をあたたかく見守り続けて頂きたいと願うとともに、
多くを失った東北沿岸部から、一日も早く再生のうたが鳴り響く日が訪れることが待ち遠しくてなりません。
KO SLANG(KLUB COUNTER ACTION 代表取締役)2011.11.2(wed)

宮古出身より一言
3月11日。俺の生まれ育った町がズタボロになりました。
いったい何ができるのだろう?現地での夜、西片さんにこのプロジェクトの話を聞いた時、頭を鈍器で殴られた気がした。
無くなったなら作ればいい。無いのなら作ればいい。新しい未来を!
宮古出身 雷矢  yasuo


宮古より一言
震災後のいち早い、皆様の救援行動に感謝いたしますとともに、継続的な支援活動に尊敬の念を抱きます。『縁』あってライブハウス計画に、宮古も含まれていることを誇りに思います。前へ進む原動力、背中を押してくれるものが必要でした。全国からの温かい励ましや多くの支援、物品提供などで新たに生まれた『縁』を大切に育てていき、次の世代へ紡いでいきたいと思います。
Bamboo 吉見 康裕




宮古より一言
音楽が大好きな友達が海の近くでいなくなりました。まだ見つかっていません。音楽の事、なんでも知っていて、聞けば笑顔ですぐに教えてくれました。その友達が宮古にライブハウスを作る話を聞いたら、どんなに喜ぶ事だろうか。最高の笑顔を簡単に想像できる。友達も絶対に応援してくれている!悲しいけれどいつまでもくよくよしてられない!
今僕は友達の分までドキドキしています!SPCの先輩はじめ、全ての協力してくれている方々に感謝の気持ちでいっぱいですm(__)m
復興に向けて僕達と一緒に走ってくれてありがとうございます!!感謝!!!
みんなに出会えて本当に良かったです!!
ファンキービックボーイ 下山晴史




宮古より一言
宮古に夢をありがとうございます。私達は皆さんから分けて頂いた「夢」を伝え、届け、守り、前を向いて歩いて生きていきます。
宮古の街に音楽が響き笑顔が溢れる日が来るのが本当に楽しみです。
BACK CITY BACK 諸田祐希